たまこのブログ

片付けのことや日常感じたことなど

IHクッキングヒータ買い替えで思ったこと

IHクッキングヒータの調子が悪かった。

スイッチを押しても入らないことがあり、長押ししたり、何回か押し直すと入るという状態が続いていた。メインコンロの1つがダメだったのだが、そのうちもう一つも調子が悪くなってきた。

 

これはもう、ヤバい。

15年使っていて、一度スイッチの基板交換修理を入れている。

さすがに買い替えだろうと思い、家電量販店へ行ったみた。

 

まずは下見しながら大体欲しいものの目星をつけておく。次は店員さんのアドバイスを聞きながら、決めていこうと思いきや、肝心の店員さんがいない。ここも人手不足か。

IHクッキングヒーターコーナーには店員がひとりしかいない。別のお客対応しているため、手があかない。店員待ち番号札をもらい待つこと小1時間、ようやく店員さんにありつけた。

 

第一希望の機種と、第二希望の機種の説明を受け、両方の在庫確認をしてもらう。

なんと第一希望の入荷は1ヶ月後くらいとのこと。第二希望はラッキーなことに在庫があるとのこと。それを押さえておいてもらう。

 

今の時代、欲しいモノが手に入りにくくなっている。あるもので手を打たないといけない。

モノがあればまだ良い方なのだ。昨年から段々とそんな感じになってきた。昨年2021年9月に給湯器を交換することにしたが、製品待ちで12月の末にようやく交換工事ができたのだった。今や、車が欲しい、と思っても車種によっては2年待ちだそうだ。すぐに手に入る中古車の方が新車より値段が高いという現象も起きているらしい。

 

というわけで、すぐに納品される第二希望のIHクッキングヒーターがきた。それがこれです。

新しいものが家に来るのはやはりいいものです。

使い心地はどうかというと、電源スイッチの触り心地というか、押す力加減の感覚がまだ掴めていない。安全の問題か、すっと押しただけではスイッチが入らない。強く押すとすぐにスイッチのパネルが劣化しそうで怖い。どのくらいの力加減でうまくスイッチが入るのかまだ掴みきれていない。以前のはそんなことはなかったのになぁ。

 

魚焼きグリル排気口に蓋みたいなパネルが二つ上部についているが、その設置がちょっと不安定な感じですぐ動くのが気になる。

 

電源のスイッチの押す力加減とグリル排気口の設置具合の2点が気になるところで、あとは問題なく使い心地は良い。

 

最初の使い心地はどうしても慣れてないので、多少の違和感がある。慣れてくれば元々あったもののように使いこなしていくだろう。

 

それにしても、今まで当たり前だったことが、少しずつ変わってきているのを感じることが多くなった。欲しいものがすぐに手に入らない、この状況が加速しないことを願うばかりだ。

 

 

 

古いシューズを処分して新しいものをネットで購入してみた

 

こんにちは。たまこです。

 

息子たち独立して、今は家を片付け中。なかなか進まないけれど、今回は靴箱を片付けてみました。いらない靴を処分して新しいトレッキングシューズを購入したお話です。

 

こちらでは買って良かったものを紹介してみようと思います。

 

家族4人暮らしのときの靴箱のパンパンさといったら、なんと表現したら良いのでしょうか、漫画じゃないけど、扉を開けたら靴がバタバタと崩れ落ちてくるような、そんな感じでした。

 

特に息子たちの足がぐんぐん大きくなっていった中学生から高校生のころは、この家には大男が何人いるのか?と思うくらい、玄関のたたきから靴箱から大きなスニーカーやランニングシューズ、革靴で場所をふさいでいました。

 

そんな時代を経て、今は夫婦二人暮らし。息子たちが帰省したとき用の靴が1足ずつくらい残っていますが、基本私たちのものだけしまってあります。それでもなんやかんやあって処分することに。

 

でも靴って、使うシーンごとに用途があってなかなか減らせないアイテムではありませんか?普段用の靴、雨用の靴、アウトドア用の靴、おしゃれ用の靴、冬用のブーツ、夏用のサンダル、、、。

 

しかし、この際、何年も履いていないおしゃれ用の靴は処分、靴底の減った古くなったトレッキング用のシューズも処分、色褪せたスニーカーも処分しました。靴たちさん、今まで私を支えてくれてありがとう。捨てる時は感謝の気持ちも忘れずに。

 

山歩き好きの私としては、トレッキンシューズの新しいのは欲しいところ。以前履いていた靴が気に入っていたので、同じタイプのものをネットで探してみました。

 

ネットで靴を買うのは実際履いてみないと分からない、というリスクもありますが、同じタイプのものなら大丈夫と思い買ってみました。コロンビアのトレッキングシューズです。前のものは大分古いので同じ型番はもうなくて、後継版らしきものを探しました。

 

サイズは23・5cm  いつも靴は大体23.0か23.5を選びます。横幅が広い足なので、23.5cmの方が多いです。山歩き用の靴は靴下も厚手なので23.5cmで。

 

到着するまで大丈夫か心配でしたが、到着して履いてみたら全く問題ありませんでした。以前のタイプのものより、幅広になったような感じで履きやすいです。低山ハイキングにも雨の日の街歩きにもこのシューズでOK。

新しく買ったシューズ 履きやすくて歩きやすい

今回は靴について書いてみました。これから、また片付けをしながら気になったものやことを書いて行こうと思います。最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

水まきしながら 母と子と今

住んで15年経つこの家には、ほんの少しだけ庭とは言いにくいほどの小さなスペースがあり、そこに芝生や草木を植えている。今年は芝生が剥げてしまった箇所に新しい芝生を植えてみた。根付くまでは水やりが欠かせないし、特に夏の暑い盛りには、朝と夕にシャワー付きホースで水をまくのが日課となった。

 

太陽光に向かって水をまいていると、思い出すのは子供の頃のこと。子供の頃育った家には、子供心には割と広く感じていた庭があった。庭いじりが好きな両親で、ただ夏の平日の水まきや草取りは主に母がしていた。母は朝にホースで水まきし、夕方にもまた水まきをしていた。幼い私は夕方の水まきを一緒になってやるのが好きだった。母がホースの先を指でつぶして、遠くまで飛ばす水しぶきに太陽光が重なり、その隙間から虹が見えると、私は歓び勇んでその中へ入っていった。夕方とはいってもまだ青い夏空、緑が生い茂った木々の葉、水滴を浴びた葉の光、夏の光景は今でも目に焼き付いている。

 

そんな無邪気な私だったが、時折母はなんとなくイライラしていることもあって、子供心にもそれが分かり、少し気持ちが塞ぐような気がした。今なら理解できる。忙しい時間の中、夕食の支度もあるだろうに、末っ子の私がわざわざびしょびしょになってはしゃいでるのをどういう気持ちで見ていたのかを。

 

自分が母親になり、息子たちが同じようなことをしていたとき、私に余裕があるときは微笑ましく思えて優しく対応できても、気持ちや時間に余裕がないときは、イライラした態度をとってしまったことがあった。自分がそうしたことをされた時の気持ちを知っていたから、そんなことはやるまい、と理想はあったのに、現実は難しかったことが多い。息子たちよ、余裕のなかった母を許して欲しい。

 

今はホースの先にはシャワーが付いていて、そのままで虹が出てくる。少し水しぶきがかかるがそれも気持ちがいい。自分の幼い頃と息子たちが幼い頃を思い出しながら、水をまいているこの時間がなんともいえない、胸が少し痛いような、歯がゆい気持ちになる。

 

子育てに100%満足なんて有り得ず、育てている最中は怒りすぎたり悩んだり、後悔や反省が尽きない。それは自分の親も同じだったはず。私の母も完璧な母だったわけでもなく、それでも自分は大人になり、母のことが好きで、親にはとても感謝している。そして自分も母親となり、息子たちは独り立ちするまでなんとか育て上げた。それでいい。そう思える夏の午後のひととき。

水滴をつけた葉のみずみずしいこと。
この葉は芝ではないが、
緑なのでいいか、とそのまま生やしている。



今回のBGMはユーミンの「夕涼み」

♪DAY DREAM灼けつく午後

水撒きしてはしゃいだあのガレージ

HEY DREAM ゴムホースで

きみがふと呼び込んだ虹の精

by ユーミン

 

お盆です。父と英語と参考書

父は58歳で亡くなった。くも膜下出血で倒れて1年半後のことだった。間もなくお盆がくる。父が亡くなってから何度目のお盆だろうか。父のことを思い出しながらお盆を迎えたい。

 

昭和一桁生まれの父は今生きていたら92歳だ。新しいもの好きの父ならきっとPCもスマホも面白がって使っていたと思う。とにかく人にも自分にも厳しいストイックな人で、こうと決めたら直進、母も随分と大変だったような気もするが、後に母に聞くと、怖そうに見えて時折り見せる笑顔が良かった、と話していたように、厳しさと怖さの中に垣間見える優しさがあった。

 

私が中学生になるときに、父から英語の参考書を渡された。父は英語が好きで、父自身が大学生の頃、英語の辞書を片時も離さず丸暗記するほどだったという。貧乏苦学生だったので、あるときお腹が空きすぎて覚えた単語のページを食べてしまった、という嘘だか本当だか分からない話をしてくれたことがあった。中学生になった私にも英語を勉強するように、と『よくわかる英文法』を入学記念として渡されたのだった。

 

その本の裏表紙近くのページには私宛のメッセージも書かれていた。「英語に強くなることを祈って」英語が上達するように、でもなく、英語が得意になるように、でもなく「強くなること」と書かれていた。そして一日一ページ必読、と。

 

強くなれ、とはどういうことなのか、今まで良く考えたことがなかったが、久しぶりに参考書を開き、こうして改めてメッセージを目にして、ブログを書くための文章にしてみると、私への父の思いを考えるまたとない機会となった。(やはり文章にすることによってよく考えるし、考えがまとまってくる)

父の文字。漢字が旧字体なのが昭和一桁世代を物語っている

父の思いは、きっと私に英語に対して物おじせず、英語だけでなく外国人や外国文化にも気後れせず、日本人として強くあれ、と願っていたのではないだろうか。強く、の言葉にはそんな願いが込められいたのかもしれない。

 

もっといろいろなことをゆっくり話してみたかった。反抗期の頃はろくに口もきかない時期もあり(今思うと申し訳ない)、その時期が過ぎて、さぁこれからお酒でも一緒に飲みながらたくさん話す時間を持てるはず、、、の頃、父は私が二十歳のときに亡くなった。

 

はたして今の私はそんな思いに応えているだろうか。当時、地元の公立中学校に通い始めたばかりの私にとって、この参考書は難しく一日一頁必読は4月8日から始まって、6月10日で終わっている。この参考書が役に立つようになったのは高校生になってからだった。大学受験のときにはとても役に立ったが、希望していた大学には全て失敗、短大へ進むがやはり四年制大学で学びたい気持ちは消えず、一旦社会人になってから大学へ再入学を果たした。そのときもこの参考書が支えとなっていた。英語を自由自在に操って仕事に就くことはなかったが、かといって英語に対してアレルギー反応はない。でも、自分で納得できるような英語力は、まだ全くと言っていいほどない、、、。

55・4・8より は父が書いた字。昭和55年です。
その後、自分で書き込んだ日付は6月10日で終わっている。

 

お父さん、まだ私は英語に強くなってないみたい。54歳にもなってまだまだだよ。たしかお父さんは勉強は一生だって言いながら、いつも英語や法律を勉強してたよね。私もこれからもお父さんを見習って勉強を続けるね。

 

心の中で父と話しながら、今年のお盆は、仏前で英語頑張る宣言!してこよう、決意も新たにしている。今日から始めよう。どうか三日坊主になりませんように!

 

夫が無くした結婚指輪とユーミンの曲

今から十数年前のことだろうか、結婚して十年は経っていた頃だと思う。夫が結婚指輪を無くした。夫も私も外出から家に帰ってくると、時計を外すように指輪も外す。おそらく家の中だというが、どうにも見つからない。新婚時代でもなく、息子たちは小学生のやんちゃ盛りで、私も仕方ないね、くらいで流していた。

 

 

数ヶ月後、その当時住んでいる家を引越すことになり、準備をしなくてはならなくなった。新聞紙入れにためてあった新聞紙で壊れ物を包んでいたときのこと、新聞紙から、ころん、と何か光ったものが落ちてきた。なんと夫の指輪だった。「あれー指輪あったよ!」と驚きで思わず声がでる。仕方ない、といいながら、やはり出てきたときは嬉しかった。そんなとこにあったのか、と夫も喜んでいた。もしも引越しもしないで、そのまま新聞紙回収に出していたら、と思うと、不思議なモノとの引き寄せの力に驚く。

 

 

同時に、私の得意の空想癖が始まって、この指輪がもしも夫のものでもなく、私のものでもない細いサイズの指輪が出てきたとしたら、どうだっただろうか、と空想物語が展開していくのだった。

 

 

頭の中に流れてくるのはユーミンの曲。

 

♪彼のベッドの下に

片方捨てた

真珠のピアス

 

可愛いあのひとと引越しするとき

気づくでしょう

broken heart

最後のジェラシー

 

by ユーミン 「真珠のピアス」

 

 

ユーミンの曲が頭の中でヘビーローテーションし、空想の世界へと拍車をかけたものだった。こうして改めて思い出すと、物語の続きがまた作れそうである。

 

28年経った結婚指輪 

 

夫は今も指輪を出かけるときにはめて、帰宅すると外している。私も同じくだ。そんな夫との結婚生活も28年間続いている。息子たちは独立し、また夫と二人きりの生活だ。もう若くはない50代の夫婦だけど、気持ちは老けこんではいない。たまにはユーミンの歌の世界を想像して、しまいがちな感情を思い起こしたりするのも悪くないかな。ちなみに私は耳にピアスのあなを開けていない。そろそろ開けてみようと思っている。

次男の部屋を片付けたなら

がらんとした部屋

窓の近くに置いた小さな椅子 

風に揺れるカーテンから差し込む陽の光

ユーミン好きの私としては

やさしさに包まれたなら

を流したくなる。

東向きの窓から気持ち良い風が入ってくる 

 

ほんの数ヶ月前は足の踏み場もないほどのグダグダの次男の部屋だった。今年の5月GW明けから一人暮らしを始め、この部屋から出て行った。しかもほとんど片付けず、旅行にでも行くような感じで必要なモノだけ持って出て行った。

 

 

本来ならば本人がちゃんと片付けて出て行かねばならないのだが、前々から何度言っても出来ずに引越し当日を迎えた。親として育て方が悪かったのか、と思うくらい片付けが苦手な次男だが、もうそれは本人の資質なので、そこは理解しつつ受け入れつつ、でも嘆いてしまう。

 

 

思えば双子の次男として妊娠34週1800gで生まれた彼は、未熟児網膜症を発症したり新生児の頃は心配したが、小ぶりながら元気にすくすくと成長し、中学、高校、大学、大学院まで進み、ようやく今春就職したのだった。お互い充分一緒に暮らしてきた。楽しい時間もたくさんあったと同時に、悩んだり、ときには反発しあった時もあった。子育てしながら私自身も人として成長させてもらえたこと、お互い元気に巣立ちの時期を迎えられたことに感謝。

 

置いていった荷物の片付けは、結局、私がやった。本人も承知のうえでの男子部屋の片付け。まぁ出てくる出てくるいろんなものが。ほぼほぼいらないものなので処分。何日間かかけてようやくスッキリした部屋に。

 

 

そんな空っぽに近い部屋を見ていたら、息子たち二人出て行ったんだ(長男は大学進学と同時に一人暮らしを始めている)、子育てが終わったんだ、と、感傷的というよりは、さっぱりした気分になった。外に出て見上げた空は雲一つなく青く広がっていた。私の心もこれから広がっていく世界にワクワクしている。

 

♪カーテンを開いて 

静かな木洩れ陽の

やさしさに包まれたら

きっと

目にうつるすべてのことは

メッセージ♪

by ユーミン やさしさに包まれたなら

本当に真っ青



 

はてなブログを始めてみました。

はてなブログなるものを始めてみた。

 

なぜブログを始めてみたかというと、今年の4月に息子たちが社会人となり、ついに独り立ちし、この私もついについに学生の母親を卒業したことに伴い、今までのことを振り返ったり、この先の人生について考えてみたい、と思ったからである。今後はまずは片付けのことについて書いていくことになるだろう。モノの整理は心の整理、今までの人生の整理整頓をしながらこれからの人生をより良く生きていきたいと思っている。

 

次男が5月GW明けから一人暮らしを始めている。初めての一人暮らしだ。彼はとても片付けが苦手である。次男の部屋はカオスと化していた。この部屋を空にして出て行きなさい、と伝えていたが、やはり無理だった。必要最低限のものだけ持っていっていくことに。ここに残したものは全て処分すると話してはいる。どうなることやら、、、。

 

長男はすでに学生時代から一人暮らしを始めていて、3月末に就職先の近くに部屋を借り直しており、一人暮らしには慣れている。彼はなんとか形とになっているようだ。こちらの長男の元の部屋はズーム部屋と呼ばれているように、オンラインをつなぐときの部屋専用になっている。ここもまだまだ片付ける余地があるのでこれからやっつけていかなければ。

 

実はこの文章も4月に書いたもので公開せずにそのままになっていた。今日、少し書き直したので公開してみることにしよう。やってみないことには始まらない!

というわけで、これから始まる『たまこの玉手箱ブログ』どんな風になっていくのか自分でもまだ分からないけど、楽しみでもある。