たまこのブログ

片付けのことや日常感じたことなど

水まきしながら 母と子と今

住んで15年経つこの家には、ほんの少しだけ庭とは言いにくいほどの小さなスペースがあり、そこに芝生や草木を植えている。今年は芝生が剥げてしまった箇所に新しい芝生を植えてみた。根付くまでは水やりが欠かせないし、特に夏の暑い盛りには、朝と夕にシャワー付きホースで水をまくのが日課となった。

 

太陽光に向かって水をまいていると、思い出すのは子供の頃のこと。子供の頃育った家には、子供心には割と広く感じていた庭があった。庭いじりが好きな両親で、ただ夏の平日の水まきや草取りは主に母がしていた。母は朝にホースで水まきし、夕方にもまた水まきをしていた。幼い私は夕方の水まきを一緒になってやるのが好きだった。母がホースの先を指でつぶして、遠くまで飛ばす水しぶきに太陽光が重なり、その隙間から虹が見えると、私は歓び勇んでその中へ入っていった。夕方とはいってもまだ青い夏空、緑が生い茂った木々の葉、水滴を浴びた葉の光、夏の光景は今でも目に焼き付いている。

 

そんな無邪気な私だったが、時折母はなんとなくイライラしていることもあって、子供心にもそれが分かり、少し気持ちが塞ぐような気がした。今なら理解できる。忙しい時間の中、夕食の支度もあるだろうに、末っ子の私がわざわざびしょびしょになってはしゃいでるのをどういう気持ちで見ていたのかを。

 

自分が母親になり、息子たちが同じようなことをしていたとき、私に余裕があるときは微笑ましく思えて優しく対応できても、気持ちや時間に余裕がないときは、イライラした態度をとってしまったことがあった。自分がそうしたことをされた時の気持ちを知っていたから、そんなことはやるまい、と理想はあったのに、現実は難しかったことが多い。息子たちよ、余裕のなかった母を許して欲しい。

 

今はホースの先にはシャワーが付いていて、そのままで虹が出てくる。少し水しぶきがかかるがそれも気持ちがいい。自分の幼い頃と息子たちが幼い頃を思い出しながら、水をまいているこの時間がなんともいえない、胸が少し痛いような、歯がゆい気持ちになる。

 

子育てに100%満足なんて有り得ず、育てている最中は怒りすぎたり悩んだり、後悔や反省が尽きない。それは自分の親も同じだったはず。私の母も完璧な母だったわけでもなく、それでも自分は大人になり、母のことが好きで、親にはとても感謝している。そして自分も母親となり、息子たちは独り立ちするまでなんとか育て上げた。それでいい。そう思える夏の午後のひととき。

水滴をつけた葉のみずみずしいこと。
この葉は芝ではないが、
緑なのでいいか、とそのまま生やしている。



今回のBGMはユーミンの「夕涼み」

♪DAY DREAM灼けつく午後

水撒きしてはしゃいだあのガレージ

HEY DREAM ゴムホースで

きみがふと呼び込んだ虹の精

by ユーミン