たまこのブログ

片付けのことや日常感じたことなど

お盆です。父と英語と参考書

父は58歳で亡くなった。くも膜下出血で倒れて1年半後のことだった。間もなくお盆がくる。父が亡くなってから何度目のお盆だろうか。父のことを思い出しながらお盆を迎えたい。

 

昭和一桁生まれの父は今生きていたら92歳だ。新しいもの好きの父ならきっとPCもスマホも面白がって使っていたと思う。とにかく人にも自分にも厳しいストイックな人で、こうと決めたら直進、母も随分と大変だったような気もするが、後に母に聞くと、怖そうに見えて時折り見せる笑顔が良かった、と話していたように、厳しさと怖さの中に垣間見える優しさがあった。

 

私が中学生になるときに、父から英語の参考書を渡された。父は英語が好きで、父自身が大学生の頃、英語の辞書を片時も離さず丸暗記するほどだったという。貧乏苦学生だったので、あるときお腹が空きすぎて覚えた単語のページを食べてしまった、という嘘だか本当だか分からない話をしてくれたことがあった。中学生になった私にも英語を勉強するように、と『よくわかる英文法』を入学記念として渡されたのだった。

 

その本の裏表紙近くのページには私宛のメッセージも書かれていた。「英語に強くなることを祈って」英語が上達するように、でもなく、英語が得意になるように、でもなく「強くなること」と書かれていた。そして一日一ページ必読、と。

 

強くなれ、とはどういうことなのか、今まで良く考えたことがなかったが、久しぶりに参考書を開き、こうして改めてメッセージを目にして、ブログを書くための文章にしてみると、私への父の思いを考えるまたとない機会となった。(やはり文章にすることによってよく考えるし、考えがまとまってくる)

父の文字。漢字が旧字体なのが昭和一桁世代を物語っている

父の思いは、きっと私に英語に対して物おじせず、英語だけでなく外国人や外国文化にも気後れせず、日本人として強くあれ、と願っていたのではないだろうか。強く、の言葉にはそんな願いが込められいたのかもしれない。

 

もっといろいろなことをゆっくり話してみたかった。反抗期の頃はろくに口もきかない時期もあり(今思うと申し訳ない)、その時期が過ぎて、さぁこれからお酒でも一緒に飲みながらたくさん話す時間を持てるはず、、、の頃、父は私が二十歳のときに亡くなった。

 

はたして今の私はそんな思いに応えているだろうか。当時、地元の公立中学校に通い始めたばかりの私にとって、この参考書は難しく一日一頁必読は4月8日から始まって、6月10日で終わっている。この参考書が役に立つようになったのは高校生になってからだった。大学受験のときにはとても役に立ったが、希望していた大学には全て失敗、短大へ進むがやはり四年制大学で学びたい気持ちは消えず、一旦社会人になってから大学へ再入学を果たした。そのときもこの参考書が支えとなっていた。英語を自由自在に操って仕事に就くことはなかったが、かといって英語に対してアレルギー反応はない。でも、自分で納得できるような英語力は、まだ全くと言っていいほどない、、、。

55・4・8より は父が書いた字。昭和55年です。
その後、自分で書き込んだ日付は6月10日で終わっている。

 

お父さん、まだ私は英語に強くなってないみたい。54歳にもなってまだまだだよ。たしかお父さんは勉強は一生だって言いながら、いつも英語や法律を勉強してたよね。私もこれからもお父さんを見習って勉強を続けるね。

 

心の中で父と話しながら、今年のお盆は、仏前で英語頑張る宣言!してこよう、決意も新たにしている。今日から始めよう。どうか三日坊主になりませんように!